わたしは自他共に認める器用貧乏である。
わたしはぶっちゃけなんでも70点くらいの出来である。
高校は当時住んでいた地域の中の中位の学校で数学で学年1番を取るという、なんとも微妙な学力を発揮していた。
ピアノも18歳から始めたにしてはそこそこ弾けるが、残念ながらそこそこ以上の上達は見込めない。
文章も昔から褒められてクラス代表として自分の書いた詞が発表されたこともあるが、そこから全道、全国までのステップに上がったことはない。
作曲もできると言えばできるが、基本は簡単なアレンジで、本格的な作曲をしようとすると「もうちょっとなんだよな」と何か足りないといつも作曲の先生に言われる。
料理も一応主婦なのでできるが、基本料理に興味がないのでレシピ通りの域からは出たことも出ようとも思ったことがない。
そしてそんなわたしをみて周りは「器用だね」という。
「器用だね」という言葉は自分にとって人生において何百回、何千回と言われてきた言葉である。
このようにいうと「なんだよ、器用自慢かよ」と思われるかもしれないが、実は器用な人間というは自分が器用であることに悩みを抱えているケースが多い。
なぜなら得意なことがないからだ。
今の世の中、何か突出した得意なことを求められるような感想や人生が多い気がするが、得意な人間は全部が平均点なので、それが皆無である。
そのため、「得意なこと」という質問が大の苦手である。
あくまで「わたしは」の話だけど。
だからわたしはほんのついこの間まで自分が器用であることに、非常にコンプレックスを感じていた。
むしろ、器用じゃなくていいから何か突出した才能があったら良かったのに…とめちゃくちゃ思っていた。
が、それがフリーランスという雇用形態になってからがらりと変わった。
フリーランスは全部を1人で行う。
メインとなる仕事はもちろん、営業から経理まで基本1人で行う。
わたしはメインとなる仕事は音楽療法なのだが、音楽療法をやりつつ、このような文章をメインとした発信活動を通じてコンサルティングをしたり、営業をして仕事を獲得して、合間の時間に経理を行なっている。
最初は正直「めんどくせ〜」と思っていたが、これがやっていくとどんどん器用貧乏の自分が水を得た魚のようにどんどん楽しくなっていった。
そう、フリーランスは器用な人間こそ生きやすい業種ということに気づいたのだ。
むしろ、これはあくまでわたしの一個人の意見ではあるが、フリーランスは器用な人間でなければなかなか長続きしにくいと思う。
それか、自分は器用ではないけどフリーランスになりたいという人は、自分が苦手なものは得意な人に丸投げスタイルが一番いいと思う。
経理は税理士に、営業は営業代行に、という具合にだ。
ともかく、わたしの体験から思うことは、フリーランスで生きていきたいなら器用貧乏になることがおすすめということ。
そして器用貧乏で自分の才能がわからない人は、フリーランスという道があるということも知って欲しいと思う。
さらにその中で音楽という業種となると、とにかく音楽関係の仕事は仕事がない。
仕事を0から生み出す力が何よりも欠かせない。
そんなときに音楽の技術や知識を持っているだけでは難しい。
知識や技術を活かして、相手に何をどのくらいの期間で提供できるのか。
それを説明することは、営業とも言える。
そしてそれを文章化することができたら、企画書の発行ができる。
先ほど説明した通り、わたしはすべてにおいて平均点くらいの出来の人間であるが、平均点くらいながらも
- 音楽療法ができる
- ピアノが弾ける
- 作曲ができる
- 言語化できる
- ライター経験あり
- 営業できる
ということで、なんやかんやで音楽関係の業種のフリーランスとして10年近く活動することができている。
それは間違いなく、なにか突出した才能があったからではなく、満遍なく平均点くらいできる器用さを持っていたからだと思う。
もし今、突出した才能がないと悩んでいる音楽系フリーランスの方がいたら伝えたい。
反対に音楽系フリーランスで生きるためには、器用さが必要であるということを。
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