数年前のお話ですが、以前お仕事をさせていただいた施設長様から9年ぶりに、講演依頼のメールが届きました。
9年間音信不通でも講師依頼が来たのはなぜか?
今回講演依頼をしてくださった企業様の代表の方は、私がフリーランスの音楽療法士として活動を開始してから、最初に営業をした施設の元施設長さんでした。
最初に営業したところということもあり、もちろん慣れていないころでしたが、私の話を聞いて二つ返事で「ぜひ、うちで音楽療法をしてください」と快くお答えくださいました。
そして、約1年後にその方は後に退職をすることになり、そこから9年間は互いに連絡先は知りながらも、音信不通状態で過ごしていました。
そんな初めての出会いから9年後。
突然、その方から講師依頼のメールが入りました。
私はすぐに「ぜひ、やらせてください!」とお返事をし、数回メールをやり取りさせていただいた後、後日オンラインで話し合いをすることになったので、その時に思い切って聞いてみました。
「どうして私に講師依頼をしてくださったのですか?」
すると、彼は答えました。
「柳川さんの音楽療法を見て、なぜか言葉にできないけど、あんなに子供が惹きつけられる講師を見たことがないので、どうしてそんなことができるのかを純粋に知りたいと思いまして」と。
本物の技術を見た人は一生忘れない
続けて彼は言いました。
正直、柳川さんのように音楽療法やリトミックを障害のある子に実践されている場は何度も見てきたけど、柳川さん以上に子供を惹きつけている方はこれまで出会ったことがありません。
それは何なのかは具体的にわからないし、言語化もできないのですが、そんな柳川さんがお伝えできる何か秘伝などを我々のスタッフにもお話ししてほしいのです。
このように話をされました。
この話を聞いて、私は自分自身が音大生の頃の時を思い出しました。
私はエレクトーン専攻で大学に入学をしました。
最初はヤマハ系列の先生に指導を受けていたのですが、途中から世界的に有名な演出家の作品の伴奏やアレンジなどをしている、ガチモンのプロの方に指導を受けることになりました。
正直講師が変わったばかりの頃は、レッスンについて行くこともできず、何度も大学を中退した方か考えるほどでした。
しかし、同時にこのようなことも感じていました。
「この人は本物だ」と。
こんな人にお近づきになれることは、もう今後ないかもしれない。
だったら人生最後、死ぬ気でこの人の指導についていきたいと思うようになり、日々がむしゃらに練習に取り組みました。
結果、コンクールに出ても箸にも棒にもかからなかった私が、予選会で2位を獲得。
人生初の全道大会に進出しました。
また、世界的コンクールの予選会にも参加することができました。
その後は人生紆余曲折あり、今ではすっかりエレクトーンから離れてしまいましたが、あの頃指導してくださったことは何一つ忘れていません。
というか忘れられません。
それくらい、本物の技術というのは人の心に一生残るんだとこの時感じました。
その結果、今回のように9年間音信不通だった方から、突然講師依頼がやってくることにつながったんだと思います。

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